「やりたくない」の裏側にあるもの

「やりたくない」の裏側にあるもの

「今日は作業をしたくない」
そう言われたとき、支援者はどうするでしょうか。

「でも、少しだけでもやってみましょう」
「みんな頑張っていますよ」
「毎回やらないわけにはいかないですよ」
そんな声掛けをすることもあるかもしれません。

もちろん、本人のことを思っての言葉です。
しかし、そこで本人がさらに不機嫌になったり、口を閉ざしたり、部屋に戻ってしまったりすることがあります。

では、支援者の声掛けが間違っていたのでしょうか。
実は、ここには簡単には答えを出せない難しさがあります。

ある日の事例
ある利用者さんがいました。
普段は作業にも参加しており、職員との会話もそれなりにあります。
ところが、ある日から作業への参加を嫌がるようになりました。

「今日はやりません」そう言って、作業室に入ろうとしません。

職員は、

「どうしたんですか?」
「体調が悪いんですか?」
「少しだけでもやってみませんか?」と声を掛けます。

しかし本人は、「嫌です」の一点張り。
何日か経っても状況は変わりません。

支援者としては、「このままでいいのだろうか」という気持ちになります。

作業所なのだから、できるだけ作業には参加してほしい。生活リズムも崩してほしくない。
本人の将来のためにも、できることは増やしてほしい。

そう考えるのは、決しておかしなことではありません。

でも、ここで一度立ち止まって考えてみる必要があります。
「やりたくない」という言葉だけを見ていないだろうか?ということです。

「やりたくない」は、本当に「やりたくない」だけなのか
本人が「やりたくない」と言ったとき、

「本人が怠けている」
「やる気がない」
「わがままを言っている」

と捉えてしまうことがあります。
しかし、実際にはその言葉の裏側に、別の理由が隠されている可能性があります。

例えば、

「作業が難しくて失敗するのが怖い」
「周囲の人のペースについていけない」
「今日は疲れている」
「人が多い場所にいるのがしんどい」
「昨日嫌なことがあった」
「職員から注意されたことが気になっている」
「何をすればいいのか分からない」
「自分で選べないことに疲れている」など。

本人にとっては、それらをうまく説明できず、
結果として、「やりたくない」という一言になっているだけかもしれません。

つまり、「やりたくない」という言葉そのものを変えようとするのではなく、
「なぜ、やりたくないのだろう?」と考えることが支援のスタートになるのではないでしょうか。

「やらせる支援」から「選べる支援」へ
支援というと、「できないことをできるようにする」というイメージがあります。

もちろん、それも大切です。
しかし、支援にはもう一つ重要な視点があります。

それは、「本人が選べるようにする」ということです。

例えば、「作業をしてください」ではなく、
「今日は袋詰めと組み立て、どちらがいいですか?」と聞いてみる。

「今から作業しましょう」ではなく、
「10分休んでから始めますか?それとも今から少しだけやりますか?」と選択肢を出してみる。

たったそれだけでも、本人の感じ方は変わるかもしれません。
「やらされる」から、「自分で選んだ」に変わるからです。

もちろん、何でも本人の希望通りにすればいいという話ではありません。
支援の中には、安全面や生活面から、どうしても必要なこともあります。

だからこそ、「本人の意思を尊重すること」と「必要な支援をすること」のバランスが重要になります。

では、何もしなくていいのか?
ここが一番難しいところです。
「本人が嫌と言っているから、何もしない」それだけでは支援とは言えない場合もあります。

例えば、本人がずっと作業を拒否しているのであれば、

「なぜ拒否しているのか」
「いつから変化したのか」
「特定の作業だけ嫌なのか」
「特定の人がいると嫌なのか」
「時間帯によって違うのか」
「体調や生活環境に変化はないか」

などを考えていく必要があります。

つまり、「やらせる」か「放っておく」かの二択ではない。
その間に、たくさんの支援方法があります。

少し休む。
作業内容を変える。
時間を短くする。
場所を変える。
職員を変えて声を掛ける。
本人の気持ちを聞く。
何もせずにそばにいる。
そして、場合によっては「今日は休む」という選択肢を認める。

こうした選択肢を一緒に考えることも、立派な支援です。

「できた」だけを評価しない
支援の現場では、どうしても結果が見えやすいものを評価しがちです。

作業ができた。
時間通りに来られた。
最後まで参加できた。
問題なく一日を過ごせた。

もちろん、これらは素晴らしいことです。
でも、

「今日は作業をしなかったけれど、職員に自分の気持ちを伝えられた」
「いつもなら怒ってしまうところを、今日は『嫌です』と言葉で伝えられた」
「10分だけ休んで、その後に作業を選ぶことができた」

ということも、同じように大切な変化なのではないでしょうか。

支援の成果は、必ずしも「できた・できない」だけでは測れません。
本人が自分の意思を表現できたことそのものが、一つの成果になることもあります。

支援者に求められるのは「正解」ではない
福祉の仕事をしていると、「この場合はどうするのが正解なんだろう?」と悩む場面がたくさんあります。
しかし、支援には数学のような一つの正解があるわけではありません。

昨日うまくいった声掛けが、今日は通用しないこともあります。
Aさんには効果的だった方法が、Bさんには逆効果になることもあります。

だからこそ大切なのは、「この人にはこれが正解」と決めつけることではなく、
「今、この人に何が起きているのか?」を考え続けることなのだと思います。

「やりたくない」を否定しない
「やりたくない」と言われると、つい、「どうしたらやらせられるのか」を考えてしまいます。
でも、本当に考えるべきなのは、「どうしたら、この人が安心して選べるのか」なのかもしれません。

「やりたくない」という言葉の中には、その人なりの理由があります。

その理由を知ろうとする。
すぐに結論を出さない。
本人の選択肢を増やす。
必要なときには、あえて待つ。
そして、できたことを見つける。それも支援の一つです。

支援者に求められているのは、「何でもできる人」ではないのかもしれません。
むしろ、「分からないからこそ、一緒に考え続けられる人」なのではないでしょうか。

「やりたくない」という一言を、「困った発言」で終わらせるのか。
それとも、「何かを伝えようとしているサイン」と捉えるのか。

その違いが、支援のあり方を大きく変えるかもしれません。

おわりに
支援をしてると、「これでよかったのかな」と迷うことがあります。

声を掛けるべきだったのか。
見守るべきだったのか。
本人の希望を優先するべきだったのか。
それとも、もう少し頑張ってもらうべきだったのか。

きっと、すべての場面に当てはまる正解はありません。
だからこそ、私たち支援者にできることは、目の前の行動だけで判断するのではなく、
その人の言葉や表情、変化の一つひとつに目を向けることなのだと思います。

「やりたくない」という言葉の奥には、もしかすると本人にしか分からない理由があるかもしれません。
その理由をすぐに変えようとするのではなく、まず「なぜだろう?」と考えてみる。
そして、本人と一緒に考えながら、その人にとってのより良い方法を探していく。

支援とは、答えを与えることではなく、一緒に答えを探していくことなのかもしれません。
今日の支援が正解だったのかは、すぐには分からないかもしれません。
それでも、「この人にとって何が大切なんだろう」と考え続けること。

その積み重ねこそが、一人ひとりに寄り添う支援につながっていくのではないでしょうか。