「障害者」と「健常者」。
私たちは、この二つの言葉を当たり前のように使っています。
ニュースでも、学校でも、職場でも。
「障害者向け」「健常者向け」「障害者雇用」「健常者と交流」
まるで、この二つがはっきりと分かれた存在であるかのように。
でも私は、障害のある方と関わる中で、ある疑問を持つようになりました。
本当に、人は「障害者」と「健常者」の二つだけに分けられるのでしょうか。
「健常者」という言葉に違和感を覚えた日
福祉の仕事を始める前、私も何気なく「健常者」という言葉を使っていました。
特別な意味はありません。社会で当たり前に使われている言葉だからです。
しかし、障害のある方と接する時間が増えるにつれて、その言葉に少しずつ違和感を覚えるようになりました。
なぜなら、「健常」という言葉には、どこか「問題がない」「完全な人」という印象があるからです。
でも、そんな人は本当にいるのでしょうか。
誰もが何かを抱えながら生きている
目が悪くて眼鏡がないと生活ができない人。
耳が聞こえにくくなった高齢者。
腰痛で長時間立てない人。
精神的な不調で外に出ることが難しい人。
持病があり、毎日薬を飲みながら生活している人。
仕事のストレスで眠れない人。
不安障害やパニック障害を抱えながら、それでも毎日職場へ向かう人。
こうした人たちは、法律上は障害者ではない場合もあります。
しかし、生活の中では確かに「困りごと」を抱えています。
それでも私たちは、「健常者」という一つの言葉でまとめてしまいます。
本当は、一人ひとり事情が違うのに。
障害は、突然やってくることもある
「障害のある人」と聞くと、生まれつきだと思う人が少なくありません。
しかし実際には、それだけではありません。
交通事故。病気。脳卒中。がん。視力や聴力の低下。認知症。
ある日突然、それまで当たり前だった生活が大きく変わることがあります。
昨日まで何の不自由もなく歩いていた人が、今日から車いす生活になることもあります。
昨日まで普通に話せていた人が、病気で言葉をうまく発せなくなることもあります。
障害は「誰か特別な人のもの」ではありません。人生の中で、誰にでも起こる得る可能性があります。
支える側は、ずっと支える側ではない
福祉の現場では、職員が利用者さんを支えています。
でも、その構図は一方向ではありません。
利用者さんの笑顔に励まされた日。何気ない一言に救われた日。一緒に笑って、私の方が元気をもらった日。
そんな経験は、一度や二度ではありません。
「支援する人」と「支援される人」。
そう単純には分けられないと感じています。人は誰かを支えながら、同時に誰かに支えられて生きています。
家族も、友人も、職場の仲間も同じです。私たちは、お互いに支え合うことで社会をつくっています。
「できる」「できない」は場面によって変わる
料理が得意な人。
機械が苦手な人。
人前で話せる人。
初対面の人と話すのが苦手な人。
字を書くのは苦手だけど、絵を描くことは得意な人。
体力はあるけれど、細かい作業は苦手な人。誰にでも、得意と苦手があります。
だから、「できる人」と「できない人」という分け方も、本当はとても曖昧です。
障害のある人も、私たちが驚くような才能を持っていることがあります。
一方で、「健常者」と呼ばれる人でも、一人ではできないことはたくさんあります。その違いは、「人それぞれ」でしかありません。
社会が変われば、「障害」も変わる
車いすの人が階段の前で立ち止まる。
その場面を見ると、「車いすだから行けない」と考えてしまいがちです。
でも、本当にそうでしょうか。
もしそこにスロープやエレベーターがあれば、その人は自由に移動できます。
困っている原因は、車いすではなく環境かもしれません。
字幕があれば、耳が聞こえにくい人も映画を楽しめます。
読み上げ機能があれば、文字を読むことが苦手な人も情報を得られます。
少しの工夫で、「障害」だと思われていた壁は小さくなります。
つまり、障害はその人だけの問題ではなく、社会のつくり方にも大きく関係しているのです。
「違い」があるから支え合える
もし全員が同じ能力を持ち、同じ考え方をしていたら、社会は成り立つでしょうか。
料理が好きな人がいる。人を笑顔にするのが得意な人がいる。ものづくりが好きながいる。人の話を聞くことが得意な人がいる。
違いがあるからこそ、それぞれが役割を持ち、助け合うことができます。
障害があるかないかではなく、「どんな力を持っているか」を見ることが、もっと大切なのではないでしょうか。
「障害者」と「健常者」の間には、境界線はない
私たちは、「障害者」と「健常者」という言葉で人を分けています。
でも実際には、その間に一本の線が引かれているわけではありません。
人生のどこかで病気になる人もいます。年齢とともに身体の変化を感じる人もいます。一時的に心の調子を崩す人もいます。
そして、多くの人が、誰かの助けを必要とする瞬間を経験します。
そう考えると、「障害者」と「健常者」は別々の世界に生きている存在ではありません。
同じ社会で、同じように悩み、笑い、失敗し、誰かに支えられながら生きている人たちです。
最後に
私たちは、人をラベルで見てしまうことがあります。
「障害者だから。」「健常者だから。」
しかし、その言葉だけでは、その人のことは何もわかりません。
その人が何を好きで、何が苦手で、どんな夢を持ち、どんな毎日を送っているのか。
本当に大切なのは、そこではないでしょうか。
障害の有無は、その人を表す一つの要素に過ぎません。
人はもっと複雑で、もっと豊かな存在です。だからこそ、私たちは「障害者」と「健常者」という境界線を見るのではなく、その線の向こうにいる「一人の人」として向き合うことが大切なのだと思います。
もし、この文章を読んでくださったあなたが、明日から「障害者だから」と考える前に、「どんな人なんだろう」と一歩立ち止まって考えてくれたなら、それだけで社会は少し優しくなるはずです。誰かを理解することは、特別な知識を持つことではありません。
「自分と同じ、一人の人なんだ。」そう思えることこそが、本当の理解への第一歩なのではないでしょうか。

