それ、差別かもしれない

それ、差別かもしれない

「自分は差別なんてしない」
そう思っている人は、きっと多いと思います。

差別という言葉を聞くと、誰かを傷つけるようなひどい言葉や、露骨に仲間外れにする行為を想像するかもしれません。

でも実際には、差別はもっと身近なところに潜んでいるのではないでしょうか。

悪気がなくても、差別になることがある
たとえば障害のある人に対して、

「この人には無理だろう」
「どうせ説明しても分からない」
「障害があるのに、すごいね」

こうした言葉や考え方も、状況によっては相手を「障害」という枠だけで見てしまうことにつながります。

もちろん、必要な配慮をすることと差別は違います。
大切なのは、障害があるから一律に「できない」と決めるのではなく、その人自身を見て考えることです。

「みんなと同じ」が平等とは限らない
差別をなくすためには、全員をまったく同じように扱えばいい。
そう思われることもあります。

しかし、必要な支援や配慮は一人ひとり違います。

文字を読むことが苦手な人には、絵や写真で説明する。
大勢の場所が苦手な人には、落ち着ける環境を用意する。
理解するまでに時間が必要な人には、少し待つ。

これは「特別扱い」ではありません。
その人が同じスタートラインに立つために必要な工夫です。

差別は「知らないこと」から生まれることもある
私たちは、自分が経験したことのない世界について、完全に理解することはできません。

だからこそ、

「なんでそんなことするの?」
「普通はこうするでしょ?」

と、自分の常識だけで判断してしまうことがあります。

障害だけではありません。
年齢、性別、国籍、見た目、家庭環境、仕事、学歴など、
人はさまざまな違いを持っています。

その違いを知らないまま、「普通」と「普通じゃない」に分けてしまう。
そこから、偏見や差別が始まることがあります。

「かわいそう」も、一度考えてみる
障害のある人を見て、「かわいそうだから助けてあげよう」、そう思うこと自体は、優しさから生まれているのかもしれません。

でも本人は、自分の人生を「かわいそう」だと思っていないかもしれません。

必要なのは、一方的に助けることではなく、「何か困っていることはありますか?」と相手の意思を確認することではないでしょうか。

支援する側とされる側。
その前に、どちらも一人の人間です。

私たち支援者にも偏見はないだろうか
福祉の仕事をしているから、障害への理解が完璧にある。
そうとも限りません。

「この利用者さんはこういう人だから」
「この障害の人はこういう傾向がある」
「前にもこうだったから今回も同じだろう」

経験が増えるほど、無意識に決めつけてしまうこともあります。

経験は支援に必要です。
しかし、その経験によって目の前の人を見る前から答えを決めてしまっていないか。

支援者だからこそ、ときどき振り返る必要があると思います。

差別をゼロにする第一歩
人間ですから、知らないこともあれば、無意識の思い込みを持ってしまうこともあります。

大切なのは、「自分には偏見なんて絶対にない」と思うことではなく、「もしかしたら、自分にも思い込みがあるかもしれない」と考えられることではないでしょうか。

知らなければ、知ればいい。
間違えたなら、学び直せばいい。
決めつけていたことに気づいたなら、次から変えていけばいい。

差別をなくすために必要なのは、完璧な人になることではありません。
目の前にいる人を、「障害者」「高齢者」「外国人」「男性」「女性」といったカテゴリーだけで見るのではなく、

「この人は、どんな人なんだろう」

と一人の人間として知ろうとすること。
その小さな意識の積み重ねが、誰にとっても過ごしやすい社会につながっていくのではないでしょうか。